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「逃げちゃダメだ。」ではなく「逃げてもいいよ。」と言える社会へ

by on 7:00 PM


 

新世紀エヴァンゲリオン』に登場する主人公、碇 シンジ(いかり シンジ)。

彼は汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオン初号機のパイロットとして活躍するが、

彼がエヴァンゲリオン初号機に乗る理由はただ一つ、「父親に認められたいから」。

 

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「逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。」

 

何故、彼は自分自身をこうも追いつめるのか。

それはエヴァンゲリオン初号機に乗らなければ、自分自身を肯定できないからだ。

 

精神的に未熟で幼い彼にとって、父親は自分自身を量る唯一絶対的なものさし。

もし、乗らなければ父親に認められない。父親に認められない自分を認めることはできない。

碇シンジは、「碇シンジ」であり続ける為に逃げずに初号機に乗る必要があったのだ。

 

「逃げる」ことに対する根強い反発、そして「恥」。

 

日本人の国民性か知らないが、「逃げる」という行為に強い反発が存在する。

例えば、日本の首相はコロコロと変わるが、それに対する非難の根幹を為す考えも、

「最後まで責務を果たすことなく逃げている、日本国民の恥だ」という一種の感情論に違いない。

 

私も、そう思う。

そして、先日以下のようなTweetをして、そこそこの反応を頂いた。

 

tweet

 

 

7人の方からリツイート、12人の方からFavoriteを頂いているが、僕の経験上、

リツイートよりもFavoriteが多いTweetは、「そう思っているけど、声を大にして言えない内容」。

同意するけど、自分のタイムラインに流したくないし、周りの人にも読まれたくないという文章。

 

つまり、「日本つまらない→海外へ、という逃避ではなく、日本つまらない→楽しい日本作ろうぜ」

という発想は同意だ、しかしそういう発想でない人が身の回りに沢山居るぜ、という可能性が高い。

(単純にFavoriteをして簡単に気に入ったTweetを読み返したい、という人も当然多いと思う)

 

私たちは逃げられないのに貴方は逃げている

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『サラダ記念日』で有名な詩人、 俵万智さんが東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)以降、

生活の拠点を沖縄県の石垣島に移したことに対して、多少の非難があったことは記憶に新しい。

 

多くの人は震災の影響を受けないである場所に移住したいだろう、しかし出来ない。

多くの人は家庭を持ち、その家庭を経済的に維持させるには、会社勤めする必要がある。

しかし、俵万智さんは詩人、働く場所に対する制約が僕ら一般人よりも少ないと思う。

 

俵万智さんの行動は極めて合理的だが、全ての人がその合理的な選択をできない。

著名人がそのような、一般人の「模範としたいが、現実的に実行できない」行為をしていいのか。

そんな一種の妬みに近い感情で、彼女の沖縄県の石垣島移住に対して非難が生まれていた。

 

家入一真さんの著書『こんな僕でも社長になれた』から。

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株式会社paperboy&co.創業者であり、Liverty代表を務める家入一真さんの著書、

『こんな僕でも社長になれた』を先日読んで、「逃げる」ことに関して面白い考えに触れた。

 

彼は中学生の頃に本当に笑えるくらいに些細なことで友人と喧嘩をし、友達から縁を切られ、

誰とも話さない中学校生活、そして高校をすぐに中退して、3年間近く引き蘢っている。

引き蘢り=社会的な逃避、と解すなら、紛れも無く彼は「逃げ続けた」人間だと言えるだろう。

 

こんな僕でも社長になれた』から文章を抜粋したい。

 

どんな道にも必ず行き止まりはある。

自分が、道の行き止まりに立っていることに気づかずに、

前に進めないともがき続けるくらいなら、来た道をちょっとだけ戻って、

やり直してみればいい。

身動きが取れないことに絶望的になって、自ら命を絶ってしまうくらいなら、

誰も追ってこないところまで、全力で逃げればいい。

 

「逃げる」ことを肯定する人は、僕が記憶する限り、あまり多くない。

意識の高いセミナーに行けば、「もっと現実と社会に向き合いましょう」と。

心の病んだ人が集まる場所では、なるべくなら、現実から目を閉ざしましょう、と。

 

しかし、「逃げる」は、現実から目を背けることと同義ではない。

「逃げる」は体と心が絡み合い、生まれる、紛れも無く「動作」の一つ。

現実から目を背けると、どうも身動きが取れなくて、更に現実と向かい合えなくなるが、

逃げる、ただ逃げ続ける、それは現実と向かいながら後ろ向きに進んでいる、という感じだ。

 

そして、家入さんの文章はこう続く。

 

世の中は広い。地球は、途方もなく大きい。

どんな人にだって、どこかにきっと、何も恐れることなく、

ハッピーに暮らせる場所があるはずだ。前に進まなくたって、

逃げたって、生きてさえいれば、きっといつか、そんな場所にたどり着く。

逃げることは、決して悪いことじゃない。

 

「逃げてもいいよ。」と言える社会

 

僕は現実を見つめながら、前ではなく後ろに足を進める人生を歩んだ。

小学生から高校生に至るまで、どうしても納得のいかない教え方をする教師や、

熱意を感じられない教師の授業には参加せずに、教員から隠れて本ばかり読んでいた。

 

僕は小学生の頃から、教員も人間、間違ったことをする、と肌で感じていて、それを指摘し続けた。

ある教員は感情的に僕を払い除けたが、「私が悪かった、申し訳ないことをした」と言う教師も居た。

 

もし僕が現実から目を背ける人間だったら、授業に嫌々参加していただろう。

もっと顕著に目を背ける人間だったら、登校拒否にでもなっていただろう。

前者は救いようがあるが、後者は一度そうすると再び立ち上がるのは容易ではない。

 

日本人は何かと忍耐を重んじ、逃避を拒絶する傾向が強いが、僕はどちらも重んじる必要は無いと思う。

多様な人間が存在し、その多様な人間全てに合った教育を提供することは不可能に近いし、

自分自身が既存の教育やレールに沿って人生を歩めないことを理由に自分を傷つける必要はまるでない。

 

日本は島国気質で、多様性への理解、マイノリティーへの寛容性に欠ける点がある。

多くのマイノリティーを社会に参画させる社会を築くなら、それは「逃げてもいいよ。」社会ではないか。

 

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